関節リウマチを発症して17年
右手首の痛みから病院を受診し、その時は”腱鞘炎”と診断されました。
湿布を貼って過ごしていましたが、日に日に痛みが増してきました。
大きい病院に変えて詳しく検査した結果、”関節リウマチ”だと分かり、治療を開始して今に至ります。
二十歳そこそこだったので、関節リウマチと聞いても正直ピンときませんでした。
先生の説明を受けて、ようやくこの病気を理解し軽く絶望したのを覚えています。
祖母から、親戚に関節リウマチと膠原病を患っている人がいると聞き、遺伝ということではありませんが、体質が関係あるんだろうと思いました。
当時の治療
治療開始時はメトトレキサートを4錠を服用していました。
1週間に2回、4錠を分けて飲んでいましたが、服用後の吐き気が毎回つらかったです。
当時は水を飲もうとするだけで薬が連想され気持ち悪くなりました。
胃薬に、ビタミン剤、骨粗しょう症予防薬、痛み止め、薬もたくさん飲んでいました。
仕事について
仕事は事務職でしたが、続けることが困難な状態でした。痛み止めを飲んでも字をまともに書くことができなかったからです。
お客様に複写の領収書を渡した際、「薄すぎる」と怒られてしまい裏で泣いてしまったことがあります。辞めよう、と思いました。
しかし、上司から療養を薦められ、3ヶ月間休職とすることで傷病手当金をもらえ、治療に専念し、職場にも復帰することができました。
しかし、正社員で働くにはできないことが多くなり、現在はパートとして再雇用してもらっています。
結婚・出産・育児
関節リウマチとつきあって数年後、結婚し子供を2人授かることもできました。メトトレキサートは奇形のリスクがあるため服用を中止し、薬が抜けるのを待って、半年後から妊活を始めました。
一人目妊娠中は、不思議なほど症状が軽くなり、寛解したのかもと思えるほどでした。が、出産後は自分の子供を抱くこともままならず、いっきに悪化することになりました。早く治療を再開させたほうがいいとの判断で、母乳は1ヶ月しかあげられませんでした。
育児も、夫や母、妹に頼ることになり、子供も、母である私より母や妹になついていました。夜泣きや病気で泣いている子供が、私の抱っこでは泣き止まず、夫があやすと落ち着き泣き止むということが何度もありました。今でも思い出すと泣けてきます・・・
二人目妊娠中は、前回妊娠時とは異なり、症状が軽くなることはありませんでした。一人目出産で悪化したせいかもしれません。
しかし、育児は二人目のほうが上手くいきました。授乳に影響のない薬を使うことで、3ヶ月母乳をあげることができたのと、よく寝る子だったこと、後は単純に二人目育児で少し余裕があったからです。おかげで、つらくて泣くことはありませんでした。
リウマチ治療は格段によくなっている
現在は生物学的製剤のみで治療中です。
↓これを下腹部にぶすっと射します。
当時はペン型はなく、注射器を自分で射さないといけなかったので、もともと注射が苦手な私は嫌で嫌でしかたなかったです。
今はもう針を見なくていいので、精神的にだいぶ楽です。ただ、針がまっすぐ入ってくるので痛いです(泣)
薬の値段もだいぶ下がりました。3年ほど前は1ヵ月5万円でしたが、今は2万円で済んでいます。それでも負担は大きいですが。
でももし、17年前に2万円で生物学的製剤で治療ができていたら・・・両手首の滑膜が破壊されることなく、関節も固まらないで済んだでしょうし、子供に母乳を好きなだけ与えることもできたでしょう。仕事も正社員のまま続けられたと思います。
現在のリウマチ治療は本当に希望が持てるものになっています。私も、初期段階で今の治療ができていたらよかったのに、と考えることはありますが、おかげで手首が固まってしまった以外、今のところ大きな変形はみられません。昔は、痛みにはステロイドを使うしかなく、変形も止められなかったわけですから、ここまで治療法が確立されたことに感謝しないといけませんね。
寛解を目指して
今もこうしてパソコンで入力する時、指が痛みます。使い過ぎると痛みで動かせなくなります。仕事と家事育児が両立できているとは言えない状態です。
しかし、「これ以上悪化はしない」と言えるほど検査結果は良好です。
昔はじっとしていても激痛でした。今はじっとしていれば”寛解”の状態です。じっとしていれば、では意味がないので、これを通常の寛解状態にできるよう、今後もリウマチ治療を続けていきます。